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便利を手放すとお金が増える
便利さは、固定費という名の静かな荷物である。
最初は不便を解消するため、より快適に、より楽しく暮らすためにお金を払う。
便利なものを使うこと自体は悪くないし、それが進化だ。
サブスクリプションサービスが台頭する前の時代に戻りたい人がいるとしたら、逆に頭がおかしいとさえ言われるだろう。
ただ、便利さには少し不思議なところがある。
一度慣れると、それがない状態を「不便」と感じるようになる。
ここで起きているのは、生活が豊かになることだけではない。
自分の中の基準が上がるのだ。
前は何とも思わなかった待ち時間や手間が、急に耐えにくくなる。
お金を払って便利を買ったはずなのに、いつの間にか、その便利を前提にした生活になっている。
普段よくYouTubeを見る人がPremiumに入り、広告なしのスムーズな視聴を体験してしまうと、もう戻れない。病みつきだ。僕もその一人だった。
気になるのは、金額そのものより判断が止まることである。毎月お金が出ていっているのに、毎月選んで払っている感覚がない。
だが生活は時間と共に少しずつ変わっていく。必要なものも変わる。昔は恩恵を受けていたものが、今はただ名残になっているだけの場合がある。
そこに気づかないまま払っているお金は「無駄」というより、過去の自分に今の自分が無理やり従っている感じに近い。
「便利を手放すとお金が増える」という言い方は少し雑かもしれない。正確には、便利さを一度疑うと、お金の流れが見えるようになる。
僕自身、便利さを敵だとは思っていないが、便利さを買うときはその分だけ自分の基準も変わると考えている。
だから今は、払っているものが生活を軽くしているのか、それとも何となく残っているだけなのかを確認するようにしているのだ。